眩いまでの光を放った星の記憶
量産車のフェイスリフトを受けて2003年のWRCシーンに登場した“涙目”のスバル・インプレッサWRC2003-2005。
ペター・ソルベルグのドライバーズチャンピオン獲得や初開催ラリージャパンでの凱旋勝利。そしてスバル最後のWRC勝利など、天と地の両方を味わうことになったマシンはいかにして生まれ次代へバトンを渡すこととなったのか。当時の関係者それぞれの言葉を紐解いていきます。
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群雄割拠のなかで見せたスバルの輝き
先代の“丸目”から外観以上の進化を果たしたインプレッサWRC
2002年最終戦で待望のWRC初優勝を果たしたペター・ソルベルグは
まっすぐに頂点へと駆け上がっていった
時に追いすがるライバルたちに苦戦を強いられ
様々なトラブルに悩まされつつも、このマシンは
間違いなくひとつの時代を築き上げた
[Interview with Key Person]
ペター・ソルベルグ
孤独な闘争。
絶頂期にあったエースが抱えていた苦悩
2003年のタイトル獲得によって“涙目”インプレッサWRCは
栄光のマシンとして捉えられがちだが、リザルトが示す通り
その後半生は、どちらかと言えば厳しい戦いが多かった
ライバルを凌駕していたそのパフォーマンスは、なぜ
翳りを帯びていったのか。絶対的No.1ドライバーとして
3つの仕様を走らせてきたぺター・ソルベルグが
次第に御しがたくなっていった愛機の真像を明かす
継承と革新の狭間で
ペター・ソルベルグ担当エンジニアと振り返る2003~2005シーズン
前年モデルから多くを引き継いだインプレッサWRC2003はソルベルグの急成長と歩調を合わせて見事、王座を射止める
しかし、さらなる進化を狙った2004年は前年より多くの勝ち星を挙げながら連覇を逃し、完璧なデビュー勝利を飾った
05年モデルはその後まったく勝てなくなった。なぜ、スバルは最終的に撤退につながることになる下降線をたどっていったのか
すべてのインプレッサWRCに関わったピエール・ジュノンとの対話で、今も変わらぬラリーカー開発の難しさが浮き彫りになる
Rally Japan 2004-2005
不安を希望に変えた、ファンの声
初開催ラリージャパン
ペター・ソルベルグが圧勝
悲願のWRC日本開催は、2004年に実現へと至る
当時、ラリーに携わっていた者の多くが記憶しているように
WRC初開催の喜びよりもむしろ、そこには一抹の不安が漂っていた
直前には台風までもが襲来するなか、迎えたラリーウイーク
サービスには青空が広がり、多くのファンが十勝・帯広に集結する
スバル・インプレッサWRC2004を駆ったソルベルグがラリーを制し
日本のラリー史に、歓喜と希望の記憶を刻むことになった
RALLY CARS GALLERY
栄誉の輝きは色褪せず
2004年、日本で初めて開催されたWRCラウンドを
これ以上ないほど鮮やかに勝利してみせた
ペター・ソルベルグとインプレッサWRC2004
生まれ故郷の英国プロドライブでレストアを受け
往年のカラーリングを再びその身に纏っている
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