[更新日]:
2015年06月22日
【アンドレアス・ミケルセンのWRC奮闘記】サファリより長〜いサルディニア
やあ、日本のみんな。
ラリー・イタリア・サルディニアが終わったね。今回は山あり谷ありの一週間だったけど、正直な話、どちらかというと“山”より“谷”の方が多かったように思う。2回もリスタートするなんて、優勝するにはほど遠いと思わないかい?
僕のコ・ドライバーのオーラ(フローネ)はこんなふうに言っていた。
「困難な出来事が僕らを強くしてくれる」って。
本当にその通りだよ! こういう困難を乗り越えてこそ、成長していくんだよね。サルディニアからはそういう教訓を持ち帰ることにした。
スベン・スミーツ(編集部注:フレディ・ロイクスのコ・ドライバー)からも金言をもらった。
「いまトラブルがすべて出切ったら、ポーランドはトラブルフリーなラリーになる」
それも肝に銘じておこうと思う。
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さて、サルディニアの話だ。
サルディニアに到着した時、これから1週間のラリーは過酷なものになると分かっていた。新しい道路(金曜日は完全に新しいステージだった)が今回導入されたことは、正しいペースノートを作るためにレッキがとても重要になることを意味するからね。
僕は選手権の順位が2位だから、2日間は2番手スタートで走行することになる。すなわち、かなり路面の掃除役を強いられるということだ。イベントで撮影された写真でかなりルーズグラベルが出ていたのを見てくれたと思うけど、場所によっては道路にすら見えないところもあったよ!
それから大きな石もゴロゴロしている。コース上のあらゆる場所にあるので、それがどこで出てくるかも分からない。走りながら、何とか回避できると信じるしかないんだ。
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スケジュールもこのラリーを過酷なものにしていた。朝早くから夜遅くまで、多くのステージを走る必要があった。土曜日は2002年のサファリラリー以降、WRCで最も長い一日だったそうだよ。ラリー自体も競技区間が約400kmもあったしね。
さらに、サルディニアの気温は高い! そのためにコクピット内の温度は60度以上になることもある。エアコン? もちろんないよ! 特に、イタリアに飛ぶ数日前にノルウェーの雪の中でレッドブルのイベントに参加したノルウェー人(笑)の僕にとっては、この暑さは特別につらいものだった。
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移動前にはきちんと予習もしたので、準備は万端だと感じていた。オーラとペースノートの作業に長い時間をかけた。体調は万全なので、暑さや長時間のドライビングに対処できることも分かっていた。でも残念ながら、今回はラリーカーのなかで過ごす時間は極めて短かったんだ。知ってのとおり、金曜日の序盤でリタイアして、土曜日も同じだったからね……。
もうガッカリだったよ! 最初のコースオフは完全に僕のミスだった。ダンパーが破損していたのを知っていたから、気をつけなくてはならないことは知っていた。でも慎重さが足りずに、大きな石につかまってしまった。2回目のリタイアはマシンの中で何かが壊れて、曲がることができなくなってしまったために起こったことだ。
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だから最終日、僕はパワーステージでのポイント獲得を狙いにいった。それが簡単なことではないとは分かっていたよ。出走順もトップだったしね。でも僕はスタートから全開で走り、最後まで限界に挑戦した。そしてちゃんとフィニッシュできたよ! サルディニアの難しさを考えると、パワーステージ3番手で最後の1ポイントを獲れただけでも自分たちを誇りに思うよ。少なくとも手ぶらではないわけだからね!
競技に出場していない時には何をしているかって? まずはリタイアした場所からピックアップしてもらわなくてはならなかった。それにはかなり時間がかかった。コースオフすると、チームの人がクルマとトレーラーでクルーとラリーカーを回収しに来るんだけど、その間、クルーは盗難を防ぐためにラリーカーと一緒にいなくてはならない。ステージ走行中は競技車以外は誰も入ることができないので、最後のクルマを待つまで長い時間がかかるんだ。
サービスに戻ったらとにかく何かを食べたかった。両日ともとにかく空腹でね! その後、僕とオーラはランニングをして、ジムでトレーニングをして、締めくくりに海で泳いだよ。
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さて、気持ちを切り替えて次戦ポーランドに集中しなくてはならない。我々はその前の週末にテストを行う。僕はこのイベントにかなり期待しているんだ。もしかしたらようやく僕らの番がやってきたかもしれないってね! 今季、もうすでに何度か不運に見舞われているから……。
今回も僕の日記を読んでくれてありがとう!
アンドレアス
追伸:最後にフィンランドのユハ・マッケリという人が僕のためにファンソングを歌ってくれたんだ。なかなかいいからぜひ聞いてみてね!