[更新日]:
2015年06月03日
【アンドレアス・ミケルセンのWRC奮闘記】第5回ポルトガルで表彰台独占!
久しぶりにポルトガルの北部に舞台を移して開催された
ラリー・デ・ポルトガルが終了した。
フォルクスワーゲンが表彰台を独占したんだ!
チームの全員そしてドライバーたちが
最高のパフォーマンスを見せることができた。
それに、フォルクスワーゲンは
パワーステージでも最高ポイントを獲得したんだ。
パワーステージでも1位、2位、3位になったのは
今回が初めてだった。
これを最高と言わずして何と言ったらいいんだろう?
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2001年以降、ラリー・デ・ポルトガルは国の北部では開催されていなかった。
今回は久しぶりだったんだ。
僕にとっては、ようやく北での開催がかなった!
僕らを追って数千人の観客たちがステージで観戦してくれたし、
信じられないくらい素晴らしい雰囲気を作りだしてくれた。
ギャラリーの多くが完璧な観戦スポットを確保するために、
ラリーが始まる数日前からテントを張って待機していたほどだった。
これこそラリーにかける情熱だと思わないかい?前回ポルト周辺でラリーが開催された時には僕はまだ12歳で、
当然WRCには出場していなかった。つまり僕がこの地域を訪れたのは初めてのことだったんだ。
というか、ひとりを除いてドライバー、コ・ドライバーの全員にとって初めてだったわけだ。
ただひとり、僕のコ・ドライバーであるオーラ・フローネは
当時ヘニング・ソルベルグのコ・ドライバーとしてワールドラリーカーで出場していた。
しかしオーラの話によれば初日の序盤でコースオフしたため、あまり長い距離を走ったわけではなく、
救助隊が到着するまでずっと待っていなくてはならなかったらしい(笑)。それも雨の中を!
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新しい開催地というのは新しい道路、つまり誰も知らないステージってことだ。
僕ら全員にとって、だ。レッキ中には考えて行動する必要があるし、
一発で正しいペースノートを作成しなくてはならない。それは非常に重要だ。
さらに、新しい道路というのはタイヤチョイスがとても難しいということも意味する。
ソフトかハードのコンパウンドを選ぶには多くの要素を検討しなくてはならない。
路面がどのようにタイヤ摩耗に影響するかが詳しく分からない場合には、
決定はとても難しくなる。正しいこともあれば、もちろん間違えることもある。
正しいタイヤチョイスをするまでには試行錯誤することになるが、徐々に理解し始めているよ。
毎戦、何か新しいことを学ぶ。
その知識のすべてを活用して分析することによって、
使用するタイヤを決めていくわけだ。
それでほとんど間違えることはなかったけれど、
しかし振り返ってみると、土曜日の午前中の選択は
少し勇敢すぎたと言えるかもしれないし、少し変更すべきだった。
最終的にはあまりタイムロスをしなかったけれど、それも学習の一環と捉えることにするよ!
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ラリー・デ・ポルトガル直後に僕はジブラルタルに移動した。
ノルウェーには「ベスト・オブ・ザ・ベスト」というテレビ番組があって、
僕はその10人の出場者のうちのひとりになったんだ。
10回の番組で、お互いに競い合って、誰が「ベスト・オブ・ザ・ベスト」かを決めるんだよ!
僕はクロスカントリースキー選手で多くのメダルを獲得しているマリット・ビョルゲンや
自転車プロロードレース選手のトル・フースホフトなどと一緒に出場することになった。
彼らと一緒に選ばれてちょっぴり自慢なんだ。
もっと信じられないことに、僕は彼らに多くのコンペティションで勝ったんだ。
これまでにランニング、サイクリング、スイミング、ダンスなど
多くのコンペティションをこなしてきた。
残念ながらそれがどういう結果だったのか、
そして写真などは放送が終わるまでは公開できないことになっている。最後のコンペティションに出場したあと、僕は急いで空港に行き、
親友のティエリー・ヌービルとのPRデーのためにモナコに飛んだ。
フォルクスワーゲンとヒュンダイがさまざまな活動やインタビューなどを企画してくれた。
その結果はラリー・イタリア・サルディニア前に公開されるWRCプレビュー番組で見てほしい。
とにかく楽しかったよ! ティエリーと一緒にいるといつも楽しい。
ふたりともモナコにいる時は一緒にトレーニングしたり、いろいろ一緒に行動したりする。
もちろん、ラリーではライバルだけどね!