[更新日]:
2015年05月13日
【アンドレアス・ミケルセンのWRC奮闘記】第4回ツイていなかったアルゼンチン
ラリーアルゼンチンに出場するために
ビラ・カルロスパスに移動した僕の心は複雑だった。
実は僕のガールフレンドがノルウェーで白血病と闘っていて、
それを知りながら母国を後にするのはかなり辛かった。
でもそうは言っていられない。
なぜなら僕は集中してラリーカーをドライブすることが仕事だからだ。
これまで3回連続でポディウムを獲得した僕らはこのイベントにとても大きな期待を寄せていた。
そしてなんとか彼女のために優勝したかったんだ!
スタートはそう悪くはなかった。
速さもあったし、すべてがうまくいっていた。
しかし悲劇はそこで起こった。
あれほど多くのことが同時にうまくいかなくなるとは夢にも思ってみなかったよ!
正直な話、何がどうなったのか、いまだによく理解できていないほどだ。
パンクひとつのせいであそこまで多くのトラブルが発生するとはね!
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ラリーでの出来事を整理してみよう。
とにかく最初に僕らはパンクしたわけだ。
その瞬間、走りを続行するか、タイヤ交換するかどうかの決定を行わなくてはならない。
いずれにせよタイムはロスするわけだが、
どちらの決定を行えばそのタイムロスをより少なく抑えることができるか。
残りの距離と、道の状況を天秤にかける。その判断はいつもとても難しい。
選択肢は交換か、続行かのいずれかだ。不運なことに、僕らは続行を選んだ。
フィニッシュラインに到着した時点でタイヤは跡形もなく消え、
リムだけが残っていた。
不運だったのは、ダンパーが破損してしまったことに気がつかなかったことだ。
その結果、次のステージでダンパーがトップマウントを突き破ってしまった。
その時点で僕らにできることといえばステージをゆっくりフィニッシュして、
サービスに戻るための応急処置を施すことだった。
なんとか修理を終えて、僕らはたったの2分遅れでサービスに戻ることができた。
フォルクスワーゲンのメカニックたちは
30分のサービスで素晴らしい仕事をしてくれて、
ほぼ新車といった状態で僕らは再スタートすることができた。
不可能だと思うかもしれないけれど、きちんと修理してくれたんだ!
でも残念なことにサービスパークのすぐ外にあるリフューエルゾーンに到着した時に、
僕らはサーボポンプオイルのチューブが外れていることに気がついた。
そこで続行不可能となってしまった。
なぜなら、その場ではオイルがどこを経由したかが分からなかったため、
エンジンの点検も必要になったからだ。
このすべてが数時間のあいだに起こったんだよ!
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翌日、僕らは再スタートして、
ひとつを除いてすべてのスペシャルステージでトップタイムを出した。
これで自分たち、そしてチームに対して僕らが優勝できること、
そしてきちんと速く走ることができることを証明できたわけだ。
最終日には2本のステージしか残されていなかったので、
パワーステージで最大限のプッシュを試みようと心に決めた。
しかしプッシュしすぎたのかもしれないね!最初のコーナーでバンクに当たってそこでゲームオーバーとなってしまった。
その後、僕らは道路の脇で観戦していたら、
なんと僕のとてもいい友人のティエリー・ヌービルも同じバンクに当たったんだ。
信じられなかったよ!帰路につく時点で数名のドライバーと話をしたけれど、
多くが同じような印象を持っていた。
「今週はいったい何が起こったんだろう?」ってね!
ラリーアルゼンチンはいろいろな意味で
僕ら全員の目を覚まさせてくれたようだ。
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その間、僕はノルウェーにいるガールフレンドと連絡を取り合っていた。
彼女は入院していて、僕がアルゼンチンのステージで戦っているあいだ、
彼女はノルウェーで白血病と闘っていた。
彼女は新たな骨髄移植を受けたので、それがうまくいくことを願っている。
彼女はいま隔離されていて、彼女の身体はいま闘っている最中だ。
数日後には新しい血液が彼女の身体に合うかどうかがわかるはずだ。
僕はとても勇敢で、いつもポジティブな彼女を誇りに思う。
このような状況で世界の裏側に行くのは容易なことではなかった。
ずっと一緒にいて、彼女の手を握っていたいだけだからね。
でもラリーが終われば彼女に付き添うことができる。
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アルゼンチンでは残念ながらポイントを獲得できなかった。
しかしオーラ・フローネも僕も、
帰国後はとても精神的に強くなったような気がした。
どのようなことが起こっても、常に新しいことを学べる。
それが僕らにとってのポジティブな教訓だ。ではまた!
アンドレアス
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追伸:僕がとにかくみんなに伝えたいのは、
毎日の一瞬一瞬を楽しんで、周りの人に思いやりを持って接して、
いつ何時もポジティブでいてほしいということだ。
いつも、必ずだよ!