■RALLY CARS vol.12
プジョー306マキシ好評発売中!
2WDキットカーが見せた輝き
1995年、4WDターボマシンを持たない欧州メーカーへの救済策となるべく制定されたキットカー規定は、まさに究極とも言うべき2WDラリーカー群を生み出しました。そのなかでも、ターマック専用マシンとして設計され激戦のフランス国内選手権を勝ち抜き、並み居るWRカーを追い詰めたプジョー306マキシに焦点をあてた一冊です。WRC参戦は数えるほど。勝利数はゼロ。しかし大きなインパクトを残したこのマシンは、今も多くのファンに愛されています。このマシンに携わった人物たちに話を聞き、その知られざるストーリーを振り返ります。
306MAXI≠WORKS
“ポスト205 T16”の空白期、プジョーは何をしていたのか? グループBの消滅によってWRC参戦の道が断たれたプジョーは、ラリーレイド&パイクスピークへと活動をシフトし目標はやがてサーキットへと移っていきました。いつしか「ラリー」は禁句となり、306マキシが登場した90年代半ばも、ワークス活動は許されませんでした。グループB以降の道のりを検証します。
PLAYBACK the RALLY SCENE 1995-1999
4WDターボ勢を向こうにまわし、プジョー306マキシの見せた剃刀のようなコーナリングと、甲高いNAエンジンのエキゾーストノートが灯した熱狂の火は、やがて来たる206 WRC時代の先触れとなりました。フランスラリー選手権でスタートした306マキシのストーリーは、やがて大きな潮流となっていきます。
ジャン‐ピエール・ニコラ インタビュー
当時プジョー・スポールの「クライアント・コンペティション部門」を率いていたジャン‐ピエール・ニコラは、306マキシの誕生とその後の活躍にとって、欠くことのできない人物です。走らせる予算を会社から与えられず、日の目を見ることがなかったかもしれない306マキシのプロジェクトを推進したその手腕に迫ります。
“舗装路特化型ラリーカー”開発の狙い
かつてモータースポーツが大好きだった少年は、やがてトリノ工科大学に学ぶエンジニアの卵となりました。その後、彼はモータースポーツの現場で色々な経験を積み、様々な人と出会うなかで306マキシの開発に携わり、206 WRCを育て上げることになります。彼の名はマリオ・フォルナリス。当時の熱気溢れる開発最前線を振り返ってもらいました。
職人気質──アンジョルラとピポ
ジャン‐ピエール・ニコラが306マキシのラリー活動を託したのは、プジョー・スポールのあるパリから遠く離れた南仏モンペリエのアンジョルラだった。そしてエンジンチューナーのピポ・モチュール。彼らこそが306マキシの快走を支え、世界の舞台で活躍する大きな原動力となりました。
デルクールが明かす、“マキシ”ドライビング論
53歳のフランソワ・デルクールは、以前とまったく変わりません。ドライビングに対する情熱も、あの頃のままです。勝つために求められたアドリブ抜きのアタック、ギリギリを求められたFFキットカーでのドライビング……20年の時を経て、そのすべてを我々に明かしてくれました。
306マキシで世界へ躍り出たジル・パニッツィ
ジル・パニッツィがWRCで獲得した勝利数は7回。そのすべてはターマックラリーであり、プジョー206 WRCによって達成されたものでした。しかしWRC参戦以前のパニッツィは、306マキシを駆って猛者の集うフランス選手権で圧倒的な強さを見せてきました。彼はこのFFキットカーで“世界”への足がかりを築き、WRCへと繋がるキャリアを歩み始めたのです。その半生を振り返るインタビュー。
Semi-Works & Privateers
WRCで勝利を得ることは叶わなかった306マキシですが、“プジョー・スポール”が大活躍したフランス選手権以外でも、欧州各国の選手権で格上の4WDターボを相手に幾度となく勝利を刻む速さを見せつけます。そして多くのドライバーが、WRCのターマックラウンドへと挑戦を続けていきました。「4WDターボ、恐るるにたらず」の気概で躍動したノンファクトリーカーに焦点をあてます。
イラストで見る、プジョー306マキシ WRC全記録
ターマックラリー中心のフランスラリー選手権を主戦場としていた306マキシは、ターマック専用と言えるマシンです。それゆえ、プジョー・スポールとアンジョルラによる“オフィシャルチーム”の参戦は、モンテカルロ、スペイン、コルシカ、サンレモなど、ターマックラウンドに絞られました。各年度の成績を、印象的なカラーリングのイラストとともに振り返ります。