世界の舞台へ躍り出たチェコ製マシン
1997年から施行されたワールドラリーカー規定は本来、2WD車両しか持たないヨーロッパ車メーカーの参戦を促進するために導入されたものだった。その規定をフル活用して、トップカテゴリーへと挑んだチェコの自動車メーカー、シュコダ。5ドアハッチバックのオクタビアWRCはその大柄な車体でライバルたちとどう戦い現在に何を残したのか─。
PLAYBACK the Rally Scene 1999-2003
大柄な車体をいっぱいに振りまわし、時にグラベルロードを豪快に、時に民家の軒先を駆け抜ける。何度敗れてもなお立ち上がり、彼らは地道に戦い続けました。
締め切りは1999年、モンテカルロ
シュコダにとって前代未聞のビッグプロジェクト。WRカーの開発は時間、人材、そして資金との戦いでした。決められた締め切りは1999年開幕戦ラリーモンテカルロ。試行錯誤を繰り返しながら、チームはデビューに漕ぎ着けました。
プロドライブの事情。シュコダの都合。
オクタビアWRCの開発プロジェクトが持ち上がったのは97年のこと。駆動系やマシンデザインについて、彼らは英国プロドライブの門をたたきました。合作とでも言うべきオクタビアWRCは、どうにかこうにか走り出し、紆余曲折を経ながらも、世界の舞台で存在感を増していきました。
Interview with Key Person
ディートマー・メトリッヒ
プロドライブに委託して完成したオクタビアWRCだが、ラリーカーとしての開発・熟成はまだこれからの状態でした。ドイツからやってきたメトリッヒはこの大事な仕事を任され、長年に渡ってシュコダを勝てる待て真に育てるべく奔走。ワークス最終イヤーには、ついに栄冠にあと一歩のところまで迫りました。
開発請負人が語る新天地シュコダでの奮闘
アルミン・シュバルツ
WRカーへの大いなる挑戦を前に、白羽の矢が立ったトップドライバーが”浪人”中だったシュバルツでした。豊富な経験は古色蒼然なチームに新風を呼び、やがてひとつの殊勲へと行き着きます。
イラストで見る、シュコダ・オクタビアWRC全記録
どこよりも長くモータースポーツ活動を続けてきた東欧の雄シュコダが、初めてWRCのトップカテゴリーに向けて作り上げたオクタビアWRC。勝利もなく、表彰台に上がったものたった一度だけ。それでも、この図体の大きなラリーカーはファンに愛され、記憶に残る1台になりました。