4WD化の荒波を堪えたフレンチ・ミッドシップ
1979年に開催されたジーロ・ディタリアでプロトタイプがデビューしたルノー5ターボ。フランス国内選手権のほかモンテカルロやツール・ド・コルスで存在感を示し、多くのプライベーターにも愛された。グループ4からグループBに移り変わる時代のなか、4WD化の波に呑まれてなお消えず、86年のグループB最終年まで強い輝きを放ち続けた。時代に衝撃を与えたそのデザインとコンセプトは現在の我々に何を語りかけてくるのだろうか。
PLAYBACK the Rally Scene 1980-1986
ファニーな外観と、内に込められた“熱”のギャップは、登場するやたちまちのうちに人気を博し多くのプライベーターにも愛されたルノー5ターボ。F1譲りのテクノロジーをストリートに落とし込みグループ4からグループBへ、ふたつの時代を駆け抜けた。
ジェラール・ラルース ルノー・スポールを率いた知将
5ターボ時代にルノーの競技部門を率いていたのはこの男。ラリードライバーとして名を成し、その後、縁があってサーキットでも大活躍。引退後はルノー・スポールを組織し、ル・マン、F1で大きな成果を挙げる。そして、ラリーでは活動大幅縮小を現場に伝えるという難しい役回りを担った。
パトリック・ランドン 元ルノー・スポール・ラリーマネージャーの回想
F1に全力投球することになったルノー・スポールでラリー継続を主張し5ターボの命を繋いだ人物が、ラリー担当マネージャーだったパトリック・ランドンだ。その後も長く“ラリーのルノー”を守り続けた名物男が、低予算での苦闘と小さな成功を振り返る
メカニズム分析──秘められた可能性いかにして5ターボは4WD勢と戦ったのか
4WDのラリーカーがラリー界を支配する兆しを見せる寸前に登場したルノー5ターボ。その誕生は、果たして遅すぎたのだろうか? 当時最もオリジナリティにあふれたマシンの進化について、開発担当のチーフエンジニア、フランソワ・ベルナールが語ってくれた
[Interview with Key Person]ジャン・ラニョッティ
ミスター・ルノーの称号に疑いをかける者などいないだろう。ジャン・ラニョッティは70年代から90年代にかけてルノーでラリーを戦い、デビューから、ワークス最後のシーズンまで5ターボのステアリングを握った。WRC勝利のすべてを記録した思い出の愛車をたっぷりと振り返ってくれた。
イラストで見る、ルノー5ターボ全記録
グループ4からグループBへと移り変わる激動の時代、限られたプログラムながらも、ターマックラリーを中心に侮れないスピードを見せた5ターボとマキシ5ターボ。タイトルを狙うポジションではなかったものの、“スペシャリスト”ジャン・ラニョッティが、WRC3勝を記録している。