巧まずして立たされた舞台。セリカは帝国ランチアに立ち向かう
1986年、グループB規定の突然の中止によって急遽表舞台に立つこととなったセリカGT-FOUR。さしあたっての急場をスープラでしのぎながら、88年ツール・ド・コルスでWRCデビューを飾る。しかしセリカを待っていたのは、いばらの道。速さは見せるが、トラブルがつきまとう。参戦初年度は6戦に出場して、表彰台はわずか1回。砂埃の彼方、デルタを追って歯噛みする日々─。セリカはいかにして帝王ランチアと比肩するまでに成長したのか。時代の転換期にみえたドラマを追う。
PLAYBACK the Rally Scene 1988-1992
流面形。そう名付けられたスタイリッシュなボディラインが長閑な町並みを、羊腸の隘路を、灼けつくサバンナを疾駆する。数多のトラブルに見舞われた参戦当初のどこか頼りなげな雰囲気は戦歴を重ねるごとに影を潜め、力強さへと変わっていった。好敵手ランチアがラリーに特化したベース車両を送り込むなか、愚直なまでの姿勢で戦った4シーズン。世界の舞台で得たものは。
Interview with Carlos Sainz
その長いキャリアで2度のWRCタイトルを獲得したカルロス・サインツ。最初の栄冠はセリカGT-FOUR ST165を駆って、1990年に手にした。若き“マタドール”は初めてフルシーズン参戦を得たトヨタで、名実ともにラリー界を代表するトップドライバーへと成長を果たした。
役者は、揃った
1990年1月以降、その後まもなくチームマネージャーに任命されることになるフランス人のモーリス・ガスラールとカルロス・サインツのあいだの絆が深まった。ふたりとも完璧さを求め、パフォーマンスに徹底的にこだわる性格であったことから、トヨタ・チーム・ヨーロッパ内には進歩とモチベーションの向上を求める力が沸き起こった。それから数カ月後、この推進力が追い風となりサインツはWRC初優勝。そしてそのまま初のタイトルを獲得することになった。
[Interview with Key Person]
カール‐ハインツ・ゴールドシュタイン
在籍期間は6年間。それはトヨタ・チーム・ヨーロッパがワークスチームとして急成長しWRCの王座へと登りつめる時期と重なる。グループA・ST165の開発を指揮し、トヨタに初のワールドチャンピオンをもたらした伝説の元チーフエンジニアカール‐ハインツ・ゴールドシュタインが、栄光までの苦闘を振り返る。
試練を糧とせよ
セリカGT-FOUR ST165が初めて檜舞台に立った88年、実戦の場は苦闘の連続だった。傷つきながらもサービスにたどり着き、そこから学ぶことを繰り返す日々。この初年度の土台づくりがあってこそ、後の飛躍につながったと言えるだろう。試行錯誤を重ね道を切り拓いたトヨタ・チーム・ヨーロッパの奮闘を振り返る。
イラストで見る、セリカGT-FOUR ST165全記録
グループB時代はアフリカの耐久イベントを中心に戦ってきたTTEにとって、ST165は初めてシリーズ制覇を意識して投入されたマシンだった。デビュー直後こそトラブルに泣いたものの、カルロス・サインツにより、初のWRCドライバーズタイトルを獲得するまでに至った。