R-GTカップの対象ラウンドとはなっていないWRCラリードイツだが、一台のポルシェが0カーとして走行する。2016年以来、クラブスポーツレベルで活躍してきたミッドエンジン・リヤ駆動のポルシェ、ケイマンGT4クラブスポーツだ。このマシンはFIA R-GTカテゴリーに合致したデザインで開発された。ステアリングを握るロマン・デュマによれば、このマシンは量産車に近いGTカーをベースにしたもので、3.8リットル水平対向6気筒エンジンは385馬力を発生する。ポルシェ製のデュアルクラッチトランスミッション(PDK)を採用し、シフト操作はステアリングのパドルで行われる。
かつてERCカレンダーに組み込まれていたポーランドのラリージェシェフは今年、FIAヨーロッパラリートロフィーおよびポーランド選手権戦として開催され、シュコダ・ファビアR5を駆るロシアのニコライ・グライジンが、同じマシンで挑んだグレゴレス・ライジフ、ヤコブ・ブレゼンジンスキーを抑えて優勝した。2WDマシンの最上位は、総合12位に入ったアバルト124ラリーで参戦したルーマニア在住のシモーネ・テンペスティーニだった。
FIA ERCヒストリック選手権のラハティラリー(フィンランド)は、ボルボ242のヤリ・カンカアンマキが優勝。ランチア・デルタ・インテグラーレのワルター・ジェンセン、トヨタ・セリカGT4のヤリ・ラトバラ父はリタイアに終わった。
WRCラリーGBのクラーク・オブ・ザ・コース、ライン・キャンベルは、WRCの走行順論争に加わり、デイ1はWRカー勢の前にWRC2部門のマシンを走らせるべきだと提言した。この論争は、歴代ラリーGBクラーク・オブ・ザ・コースの間でも続けられており、何年もの間、形を変えてきた。現在の課題となっている砂利掃きの公平性が問題に上がったことはなかった。
60年代中盤は、連続してほぼ徹夜でイベントが続いていた時期があり、クルーだけでなく、マーシャル、計時スタッフも疲労が溜まった。主催者はプライベーターや著名人のエントリーを集め、選手権登録コンペティターの前に走らせたが、これはプロモーションのためというよりも、マーシャルの眠気覚ましの意味の方が大きかったのだ!
ちょうど50年前にも、大きな変動があった。ヨーロッパ選手権に新しい規定が導入され、RACラリーの予選としてのシリーズになり、当時大勢を占めていたグループ1、2、3に合致したマシンにエントリーが制限された。ランチアは、新たに開発した未公認の1.6リットルのフルビアをエントリーさせることを希望していた。ランチアやその他合致しないマシンの要望に応えるため、RACラリーは、ヨーロッパ・クラブラリーを併催し、ERC勢の前に走らせたのだ! 写真は、1968年にプライベーターがエントリーした1.5リットル、フォード・アングリアで、ランチアやワークスのポルシェ、フォード、サーブの間に走行した。
(Martin Holmes)