トリノから来たもうひとつの“蠍”
ランチア・ストラトスが猛威を振るった70年代後期。大衆車によるWRCチャンピオンシップの制覇とそれによる販売台数の増加を狙い、フィアットから1台のマシンがWRCに送り込まれた。アバルトのチューニングを受けた131はストラトスやポルシェ911、フォード・エスコートRSを相手にスペシャルステージを縦横無尽に駆け巡った。通算18勝、路面を問わない速さと綺羅星の如きスペシャリストたちに支えられて3度のマニュファクチャラーズ選手権をもたらす誕生の経緯、ランチアとの確執……光と影に彩られたドラマを追う
[Rally Cars Gallery] 午睡からの目覚め
アバルト124ラリーで得た経験をもとに世界を獲るために送り出されたアバルト131ラリー。様々な工夫が凝らされたスクエアなボディのマシンはマルク・アレン、バルター・ロールら名手に操られ、並み居るライバルを次々と打ち倒していった。グループ4の終焉とともに第一線を退き歴史の表舞台からは去ったもののデビューから40年以上が経つ今もまだ世界中の人々に愛されている。
大衆車から傑作マシンへ フィアット・アバルト131ラリーのたどった道のり
マーケティングを重視した戦略車としてWRCに送り込まれたセダンは、いかにしてランチア・ストラトスと互角のスピードを得、WRCで多くの勝利を重ねるに至ったのか。合計6シーズン、3度のマニュファクチャラーズタイトルとドライバーズチャンピオンを獲得した実力派マシンのアウトラインをたどる
[PLAYBACK the Rally Scene 1976-1981] 巨人の見た夢
それは余りにも大きな落差だといえた。同じイタリア・トリノから送り出されるマシンながら一方はV6ミッドシップエンジン搭載、楔型のスーパーカーであり、そしてもう一方は、どこにでもあるハコ型ファミリーカーだった。だがアバルトの手腕によって猛々しい力を手に入れた131は恐るべきスピードで見る者たちを虜にし熱狂させ、3度の戴冠。まさに傑作と言うべきグループ4マシンとなった
公認を味方につけろ!
131の強さのヒミツ
WRCのチャンピオンリストにその名前を刻んだフィアット・アバルト131ラリーの美点とはどこにあったのか。そこには現在のラリーカーにも通じるしたたかな“ホモロゲーション戦略”があった
[Interview with Key Person]
バルター・ロール
70歳を越えてもなお、精力的な活動を続けるバルター・ロール。その雄弁さ、強気な態度、歯に衣着せぬ物言いはWRCトップドライバーだった頃と少しも変わらない。フィアット、そしてイタリア人と過ごした日々を誇りと感動をもって、懐かしそうに語ってくれた
Fiat Abarth 131 Rally Encyclopedia 1976-1982
コンベンショナルな2ドアセダンボディに、堅牢なFRレイアウト。同門ライバルのランチア・ストラトスとは対照的な出で立ちのフィアット・アバルト131ラリー。しかし、6シーズンという長いワークス活動のなかで多くのドライバーの手により勝利を積み重ね、3度の戴冠を記録している。