RALLY PLUS特別編集 WRCラリージャパンの軌跡は9月20日発売!
今回はラリージャパン特集。2004年から2010年まで北海道で開催されたWRCラリージャパン。当時の写真や、ラリーに関わったドライバー、主催者、メディアにインタビューし、いろいろな角度から当時を振り返ります。
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THE MOMENTS
WRCとはいかなるものか? 眼前に現れたWRカーと世界のトップドライバーの走りは固唾をのんで待っていたファンの度肝を抜いた。スピード、サウンド、アクション。初めて体験するそれらは、まさに太平の眠りを覚ます黒船だった。2004年の秋、日本のラリーの歴史にまったく新しいページが書き加えられたのだ
道は続くよ ラリージャパン実現で拓けた希望の扉
日本車が大勢力を誇っていたグループA時代でも、絶対に不可能と思われていたWRCの日本開催が、多くの関係者の努力によって初めて実現した2004年。熱狂の記憶が刻まれ、様々なノウハウが蓄積され、日本のラリーが変わった有形無形の実りをもたらしてくれた夢舞台が失われて10年が経ったが“ホッカイドウ”から“セントラル”へ。タスキはしっかりと渡されている
北の大地を駆けた、侍たち
ラリージャパンが初開催された2004年当時、ギリギリの戦いを繰り広げてきた百戦錬磨の新井敏弘ですら母国でのイベントは眠れぬほどの重圧を味わったという。そして、2年後に巡ってきたWRカーでの参戦というチャンス。世界を知る男が、北の大地を舞台に戦ったあの日を振り返った
母国で見せた三菱スピリット
プライベーター参戦数は延べ215台!
ワークスチームとして参戦したのは2005年の1回限り。その一方で、非常に多くのプライベーターがランサーエボリューションを駆って、地元日本を舞台としたWRCに挑戦していった。文字どおりラリージャパンを支える存在であったことを振り返る
WRC日本開催ドキュメント
ラリージャパンが刻んだ、消せない轍
日本初のWRC開催にいたるまでの道のり、その後たどった道とはどのようなものだったのか。現在もラリー北海道を主催するAGメンバーズスポーツクラブ北海道の田畑邦博に話を聞いた
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CONTENTS
WRC日本開催の足跡をたどる
THE MOMENTS
道は続くよ ラリージャパン実現で拓けた希望の扉
もう一度、日本に行きたい!! 俺たち/私たちのラリージャパン
北の大地を駆けた、侍たち
Chapter 1 Toshihiro Arai
Chapter 2 Fumio Nutahara
Chapter 3 Takuma Kamada
RALLY JAPAN WRCar Collection 2004-2008, 2010
ラリージャパンを彩った72台のWRカー
母国で見せた三菱スピリット
プライベーター参戦数は延べ215台!
「ラリージャパン」と書いて「おもてなし」と読め!
メディアファンクション&サービスパーク狂想曲
Rally Japan Nostalgia
あの日、私のラリージャパン。ミシェル・リザン(ジャーナリスト)
WRC日本開催ドキュメント
ラリージャパンが刻んだ、消せない轍
再録:田村勝敏・元JAFモータースポーツ局長の証言
北海道初の国際格式ラリー開催に奔走した毎日新聞社の思い
いかにして陸別はラリーに欠かせない存在となったのか?
世界選手権を受け入れた地元のパワー
WRC開催を強力にサポートした地元紙の誇り
ラリーフォトグラファー・スペシャル鼎談
あの頃、ボクらも若かった!?
数字で事実を振り返る日本戦6大会
データで見るラリージャパン 2004~2010年
Rally Japan Nostalgia
あの日、私のラリージャパン。飯島俊行(ジャーナリスト)
セントラルラリー2019愛知/岐阜最新情報
勝田貴元、凱旋!!
新たなる胎動
WORLD RALLYNG RECAP
SUBARU/STI ニュルブルクリンク24時間の挑戦
ラリプラ通信
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