勝利のための選択
ワールドラリーカー規定が導入された1997年。スバルはそれまでのグループA規定を捨て去り、2ドアモデルのインプレッサWRCを戦線に投入。初戦のモンテカルロ、スウェーデン、サファリでそれぞれ異なるドライバーが勝利を挙げるという衝撃のデビューを果たしてみせた。やがてコンパクトカーをベースとした第二世代のライバルが頭角を表し始めるも、様々な改良を盛り込み、対等以上の走りを見せた六連星が駆け抜けた4年間を振り返る。
RALLY CARS GALLERY 妥協なきスーパーカー
97年にスタートしたWRカー規定に合わせ、2ドア型インプレッサを送り込んだスバル。その最終型となるWRC2000には後の4ドア型インプレッサに引き継がれる数々の試みが盛り込まれていた。
[PLAYBACK the Rally Scene 1997-2000] それはまるで、隼のように
グループAで鍛えられたコンポーネンツを活かし、初年度から完全なWRカーとして戦線に登場したインプレッサWRC。コリン・マクレー、リチャード・バーンズ、ユハ・カンクネンらトップドライバーに操られたマシンは、その鋭さをいや増し、完成されたスタイリングとともに多くのファンを魅了した。凍てつく山岳路、雨に濡れたターマック、熱暑のグラベル……スペシャルステージに閃いた輝きの記憶をたどる。
[Interview with Key Persons]デイビッド・ラップワース ポール・ハワース
WRカー黎明期はSWRTを運営するプロドライブにも数多くの技術的な挑戦を強いる多忙な季節となった。大きく様変わりしていくマシンの機動と向きあい、変わりゆくドライビングスタイルに合わせながらインプレッサWRCは緩やかな進化を続けていく。チーム設立から所属するふたりが激動期を振り返る。
疾すぎた男コリン・マクレー
スバルを世界のトップチームに押し上げた原動力であり、自由奔放なドライビングは見る者の心を熱くした。12年前に他界してなお、その名声は輝きを失わない。WRCキャリア最後のスバル車、インプレッサWRCとのあゆみを振り返る。
後悔と疑念。
IMPREZA WRC with Gilles Panizzi
1999 Rallye Monte Carlo
現役を退いてからもジル・パニッツィは少しも変わっていないようだ。当時から相当の「おしゃべり」だったが、今もマシンガンのように捲したてる。1999年開幕戦ラリーモンテカルロに、彼は中古のインプレッサWRCで挑んだ。“勝てる”はずのラリーだったが、不可解な出来事が重なり、結果はリタイア。あれから20年が経った今、あらためて納得のいかない状況を詳らかにしてくれた。
SUBARU IMPREZA WRC97-2000
Results Encyclopedia 1997-2000
イラストで見る、
スバル・インプレッサWRC97-2000全記録
1997年からWRCに導入された「WRカー規定」に則り、スバルが投入したインプレッサWRC。2ドアクーペのリトナをベースとしたWRカーはシーズンを追うごとにアップデートされ、2000年シーズンには究極の存在とも言えるインプレッサWRC2000にまで進化を果たしている。