WRCギリシャ:カレンダー復活にヤリ‐マティ・ラトバラは「長い間、待っていた」 – RALLYPLUS.NET ラリープラス
現地速報がすぐわかる! バックナンバーが読み放題。ラリプラLINE限定コンテンツ配信中

WRCギリシャ:カレンダー復活にヤリ‐マティ・ラトバラは「長い間、待っていた」

©Toyota Gazoo Racing WRT

現在、トヨタのWRCチームで代表を務めるヤリ‐マティ・ラトバラが、最後にギリシャを訪れたのは2019年、彼はまだトヨタのワークスドライバーだった。

当時はラリートルコに向けたテストを行うために、ギリシャを訪れた。
「テストなのに、たくさん人が集まって熱狂していた」とラトバラは語る。

さらにその6年前、ラトバラはフォルクスワーゲンのドライバーとしてアクロポリスラリーを制している。フォルクスワーゲンでの初勝利で、タフで過酷なグラベル戦を制したフィンランド人としては11人目だった。

「自分が2013年に勝った時のことは素晴らしい思い出。WRCとして開催された最後の年だったし、自分にとってもフォルクスワーゲンでの初勝利だったからね」とラトバラ。
「いつ行っても素晴らしいラリーだったが、最もタフなイベントのひとつでもあった」

Volkswagen

特に過酷な展開となったのは2006年だ。当時21歳のラトバラは、3度目のアクロポリス参戦に挑んだが、理想とはほど遠い環境だった。
「自分はグループNのスバル・インプレッサで参戦したが、トラブルというトラブルにすべて見舞われた」とラトバラは振り返る。
「レッキでレッキ車を転倒させてクラッシュした。その後、2台目のレッキ車もダメージを負い、自分も前戦のコルシカで手を痛めて右手の親指が折れていたのでプラスチックのサポーターをしていた。さらにテストではオイル漏れが発生し、スタートしてからは燃料タンクを交換しなくてはならなくなった。ダンパーにダメージを負い、マシンの下部を地面に打ち付けて燃料タンクも破損した。いろいろなことが起きたが、それでもこのイベントをフィニッシュ(PWRC・6位、総合22位)することができたよ」

「ギリシャの人々も自分個人としても、ギリシャにWRCが戻ってくることを長い間、待っていた。それが実現して、うれしいよ」
(Graham Lister)



RALLY CARS