トヨタが12月6日に東京都内で行った「TOYOTA GAZOO Racing 2022年体制発表会」では冒頭、“モリゾウ”として自ら競技にも参戦するトヨタ自動車の豊田章男社長が登壇し、モータースポーツ活動に取り組む意味と意欲を明かした。
豊田社長はまず、1952年に創業者の豊田喜一郎氏が書いた「レースの世界で勝負をしながら、自動車の性能を高めていく。だからこそモータースポーツは単なる興味本位ではなく、自動車産業に必要不可欠なものである」という言葉を紹介。
「この言葉こそ、モータースポーツを起点とした、“もっといいクルマづくり”の原点だと思っている」と、積極的にモータースポーツ活動を展開していくことの意味をあらためて主張した。
その原点に導いた2台のクルマとして、自らスーパー耐久24時間レースでステアリングを握った水素エンジンカローラとGRヤリスを挙げ、GRヤリスを作った理由として「WRCで勝つため」と明言。それまで量産車を改造してレースカーを作っていたが、その発想を逆転させ最初にレースカーを作る挑戦がGRヤリスだとし「開発初期段階からプロドライバーに乗ってもらい、走るたびに不具合が出ては直してまた走らせる、そうして乗っていて楽しいクルマに進化した。開発するエンジニアの考え方も変わっていった」と語った。
一方で、道がクルマを作ると口で言うだけでなく、目にできるものにしていくために続けているニュルブルクリンクへの挑戦も『危機管理ができていない。御曹司の道楽』などの声が聞こえてきたり、社内外で異端児扱いされたことがあった」とも明かし、それでも、分散されていた社内のモータースポーツ活動を2015年に「トヨタ・ガズーレーシング」にまとめたが、それぞれの専門領域が1チームになるまでには、時間がかかったと苦難の時期を経験したことも述べた。
しかしその後、日本のラリーファンも歓喜したWRC活動の再開を迎えたトヨタ。WRCを4連覇し、三菱、スバルのマシンをドライブしてきたトミ・マキネンに代表を託し、「シーズン最後のヤリスを一番強いヤリスにしよう」と約束したこと、豊田社長自身が初めてWRCを訪問した際、当時フォルクスワーゲンのワークスドライバーだったヤリ‐マティ・ラトバラをホテルのロビーで出待ちしていたことなどのエピソードを紹介。その後、トヨタのワークスドライバーとして5年間、今季はWRCチームの代表としてトリプルタイトルに導いたラトバラをヤリスの成長に貢献したひとりとし、新たなマシンとなって迎える2022年のWRCでもラトバラを中心に「負け嫌いで家族的でプロフェッショナルなチームを作ってくれると思う」と信頼を寄せた。
「最近は“もっといいクルマづくり”という言葉に、意識的に“モータースポーツを起点とした”を付け加えている。トヨタのエンジニア、メカニックだけでなくプロのドライバー、プロのエンジニア、プロのメカニックが一緒になってクルマづくりをしていくようなトヨタに変わってきた。こんな仲間たちが揃ってきた今だからこそ、ようやく我々はモータースポーツを起点とした、もっといいクルマづくりをスタートできる、そんな段階にこれたのだと思う」とこれまでの取り組みへの手応えを感じさせた豊田社長。
最後にあらためて「モータースポーツは、もっといいクルマづくりの“起点”。プロドライバーが乗るトップカテゴリーから、ジェントルマンが乗るカスタマーモータースポーツへ、そして多くのお客様に乗っていただくスポーツカーへ、さらにはファミリーカーへ、その先には自動運転にも、もっといいクルマづくりをつなげていく」と決意を語った。