故ケン・ブロックの相棒を務めたアレックス・ゲルソミーノ「ケンの隣に座れて光栄だった」 – RALLYPLUS.NET ラリープラス
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故ケン・ブロックの相棒を務めたアレックス・ゲルソミーノ「ケンの隣に座れて光栄だった」

©WRC PROMOTER

あの衝撃的な訃報から3ヶ月、ケン・ブロックのコ・ドライバーを長年務めたイタリア出身のアレックス・ゲルソミーノは、同志の悲劇的な死からようやく立ち直り始めている。ブロックとともに130戦以上を戦ったゲルソミーノが、WRC.comのポッドキャストで今の様子を語っている。

「少し現実的になれない時間が続いていたが、3カ月ほどが過ぎ、寂しいけれどこの状況に慣れ始めている」とゲルソミーノは語る。

「ひとつのラリーでひとりの人間の隣で一週間を過ごしていると、家に帰るのが待ち遠しくなる時もあるが、いざその人がいなくなってしまうと、自分の人生にどれだけ大切な存在だったのかを思い知らされる。彼がいなくなってから、自分が今までとは違って何かが足りないという感じがしている」

ゲルソミーノ夫人で同じくコ・ドライバーでもあるリアノンとともにブロックの死を振り返ったアレックスは「一番悲しんでいるのは、ケンの子どもたちだ」と慮った。

「自分が悲しく落ち込んでいる時、彼の子どもたちのことを考えた。そして、自分以上に彼を必要としているのは子どもたちなのだということに気付いた。自分は長年、ケンの隣に座って過ごすことができて、光栄だった」

ゲルソミーノとブロックとの出会いは2005年。創業まもないシューズ会社、DCシューズを世界的なサーフアパレル大手、クイックシルバーに売却して1年経ったブロックが、バーモント・スポーツカーと組んでラリーへの参入を検討していた時だった。

米国スバルのラリー活動を一手に担うバーモント・スポーツカーはブロックのコ・ドライバーを探しており、ゲルソミーノに声をかけたのだ。当初、彼はすでにほかのドライバーと契約していたため、そのオファーを断った。しかし、契約していたドライバーが法的な問題に直面したため、ゲルソミーノはすぐにバーモント・スポーツカーに、ブロックの隣のポジションがまだ空いているかどうかを問い合わせた。幸い、席は空いていた。

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ブロックが明確な知識を持ち合わせ単純な“ジェントルマンドライバー”になりたいわけではないことを見せつけられたゲルソミーノは、すぐに感銘を受けた。
「彼は荷重移動も左足ブレーキも理解していたし、自分が何をしているのかを分かっていた。自分自身に言ったよ、楽しくなりそうだって」

ゲルソミーノは、“フーニガン”の動画で知られる未来のスターが、ラリーというスポーツに新しいものをもたらしてくれることは明らかだと、当初から話していた。
「彼はマーケティングにかけては天才的。ラリー業界でも同じことができるんじゃないかと思っていた。その答えは数年後に分かったし、今でも証明し続けている」

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ブロックとゲルソミーノの関係は、ケンの早すぎる逝去の後も強くあり続けることになりそうだ。ゲルソミーノはブロック夫人、ルーシーのコ・ドライバーを務め、リアノンはケンの長女リアのノートを読む。リアは、亡き父の遺産を受け継ぎ、今年、自身2シーズン目となるアメリカン・ラリーアソシエーション(ARA)の参戦に挑む。



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