1991年、92年のWRCコートジボワールで三菱ギャランを駆って勝利を挙げ、97年には三菱パジェロでパリ・ダカールラリーを制覇するなど、大きな功績を残した篠塚建次郎氏が3月18日、療養中の長野県内の病院で亡くなった。享年75。写真は23年2月にランブリング・エンジェルス・クラブ・スポーツ(RAC・S)で日本自動車殿堂入りの祝賀会でのもの。
篠塚氏は1948年11月20日、東京都大田区生まれ。東海大学工学部を卒業後、三菱自動車工業株式会社入社。ラリーは67年、大学在学中から始めている。海外ラリーデビューは74年のサザンクロス。76年にはサファリで日本人初の総合6位に入賞し、88年にはギャランVR-4でアジア・パシフィックラリー選手権チャンピオンの座に輝いている。91年のコートジボワールを制して日本人初のWRCウイナーとなった。コートジボワールでは92年にも連覇を成し遂げている。現役当時は“ライトニング・ケンジロー”の異名でも知られた。
また、86年からはパリ・ダカールラリーにも出場を始め、97年にパジェロでこちらも日本人初となる総合優勝を達成、2003年からは日産ピックアップでダカールラリーに参戦した。その後もソーラーカーレースやヒストリックラリー、デモランなどで精力的に活動し、22年には日本自動車殿堂入りを果たした。23年のWRCラリージャパンでは、FIAセーフティデレゲードの車両をドライブ、ミシェル・ムートンとともにコースの安全を管理するなど現役を貫き、アフリカで開催されるイベントへの参戦準備も進めていたところだという。