「RALLY CARS」
vol.08は好評発売中です!
グループ2/4規定によって争われた1970年代終盤から80年代初頭にかけて、日産は同一ドライバー・同一マシンでのサファリラリー4連覇という偉業を達成した。その原動力となったラリーカーこそ、「PA10」という呼び名で親しまれた4ドアセダンのバイオレットでした。
フィアット・アバルト131ラリーやフォード・エスコートRS1800といった当時のライバルと軽さと強さを武器にわたりあい、強烈な印象を残しました。色鮮やかなトリコロールに彩られたバイオレットの遍歴を振り返ります。
RALLY CARS GALLERY
PA10バイオレットは、サファリに挑んだ5年間のうち
シェカー・メッタの手によって
4年連続での勝利という輝かしい栄光を獲得。
79年と80年は2バルブヘッドのエンジン、
81年とマールボロカラーの82年は、
4バルブヘッドのエンジンを搭載していました。
今回は4バルブヘッドを搭載した2台を眺めます。
インタビュー:柿元邦彦
SUPER GTの日産系チームをまとめる柿元邦彦総監督。
現在は、全国のサーキットを転戦する日々を送っていますが
入社当時の配属先は“特車”──追浜の特殊車両実験部でした。
そこでモータースポーツ用エンジンの開発業務と
サファリなどラリー現場での仕事にも従事。
あれから35年あまり。当時を振り返るその顔は
「大らかな時代だった」と実に愉しそうな表情でした。
PLAYBACK the RALLY SCENE 1978-1982
花言葉は「謙虚」あるいは「誠実」──
可憐な花の名をもって生まれてきたラリーカーは
その響きとはうらはらに
5000㎞にもおよぶ果てしなき荒野を、
幾重にも連なる終わりなき山岳路を、
何よりも力強く駆け抜けました。
当時の活躍の様子を貴重な写真とともに振り返ります。
オベ・アンダーソンになりそこねた男
PA10バイオレットを語るうえで欠かせない人物、
それがチーム・ダットサン・ヨーロッパを率いた
アンディ・ドーソンです。
ドライバー兼エンジニア、マネージャーとしても優秀。
“タラレバ”が成立していたら、トヨタを成功に導いた
オベ・アンダーソンのような存在になった可能性も。
だが、正直すぎた男と日産との共闘は長くは続きませんでした。
PA10バイオレット誕生秘話 〜追浜回想〜
様々に移り変わってきた
日産のファクトリー製ラリーカーを手掛け、
その変遷を目の当たりにしてきた開発者たちが
PA10の真実の姿を振り返ります。
いかにしてラリーカーとしてのバイオレットは誕生し、
“追浜”から世界へと羽ばたいたのか?
その長所と短所、そしてメカニズムの2部構成でお送りします。
サファリラリー4連覇、その勝利の重み。
かつて、ラリーといえばサファリという時代がありました。
多くの自動車メーカーが挑んだアフリカの大地。
70年代後半から80年代にかけて、最強の称号を誇ったのは、
間違いなくダットサン・バイオレットでした。
トラブルやアクシデントで二転三転が当たり前だった時代
なぜこの4ドアセダンが4連覇という偉業を刻めたのか——。
当時の難波靖治・若林隆両氏の言葉がその重みを伝えます。
ティモ・サロネンとダットサン・バイオレット
チーム・ダットサン・ヨーロッパで
キャリアの初期を過ごした若手といえば
のちの世界チャンピオンである
ティモ・サロネン以外にはいないでしょう。
彼はかつての愛車、バイオレットについて
愛情を込めて想い出を語ってくれました。
その最初の出会いは1975年、1000湖ラリーでした。
イラストで見るPA10バイオレット全記録
耐久イベントで圧倒的な強さを誇り、
79〜82年にサファリ4連覇を達成。
チーム・ダットサン・ヨーロッパを擁して
欧州のイベントにも積極的に参戦したバイオレット。
タイトルこそ手にできませんでしたが
3年連続マニュファクチャラーズ選手権2位という記録は
その後の日本車黄金時代の先駆けとなりました。