7月4日、長く三菱自動車国内ラリーチームの一員として活躍し、「マールボロ三菱ラリーアート」の総監督を務めた木全巖氏が病気のため死去した。
木全氏は1942年生まれ、東京都出身。日本のモータースポーツ黎明期からのラリードライバーのひとりで、1966年から三菱自動車国内ラリーチームの一員として活躍。三菱自動車工業在籍時は開発本部に所属し、三菱自動車のモータースポーツ活動の取りまとめと出場競技車の開発を推進した。1999年〜2002年は株式会社ラリーアートのゼネラルマネージャーとしてWRCに出場するマールボロ三菱ラリーアートの総監督を務めた。
また、JAFのマニュファクチャラーズ専門部会およびラリー専門部の部会長を歴任し、FIAのラリー委員会ならびにクロスカントリーラリー委員会にアジア地区自動車メーカー代表として出席するなど、モータースポーツの興隆に大きく貢献。さらにJAFラリー部会長としては日本のSS方式のラリー規則の導入にも尽力した。