ドラマの連続となった今季のWRCサファリラリー・ケニアを観た元TTEドライバーの藤本吉郎は、自身の思い出を振り返るとともに現代のサファリを称賛したとWRC.comが伝えている。藤本は95年のサファリラリーで勝利を挙げている。
今回セバスチャン・オジエが勝利を飾るまでは、ケニアでトヨタに勝利をもたらした最後のドライバーは藤本だった。1995年、セリカ・ターボ4WD(ST185)で参戦した藤本は、デイ3で転倒を喫するというドラマを乗り越え、篠塚建次郎に40分以上の大差をつけてフィニッシュをした。
今回、ナイバシャのフィニッシュ時点でのタイム差は格段に小さくなったが、藤本はサファリの雰囲気が失われていないことに喜びを見せた。
「WRC.comのライブ映像やオンラインリザルトを観ながら、本当に興奮しました。そして当時を振り返りながら“1995年の時を思い出させるじゃないか!”と思いました」と藤本。
「まず思ったのは、距離がすごく短くなったこと。自分の時は3000kmありましたし、1980年代は5000kmも設定されていた。それでも、サファリはサファリ。私が出ていた当時、サファリでの1分差は普通のラリーでの1秒差のようなものでした。でも、今回のサファリではそれが10秒差に相当するように感じました」と、距離の短縮により競争が激化したことに触れている。
何十年にもわたってラリー界を象徴する独特の存在だったWRCサファリは、カレンダーに復帰した今年も、その評判を汚すことなく面目を保ったようだ。ナイバシャ湖周辺とエレメンタイタ湖周辺に設定された過酷なグラベルステージでは、ラリー2規定の再スタートをせずに走り切ったWRカーは5台のみだった。
藤本が、この厳しいイベントに挑んだのは26年前のこと。グループA時代は、チームは特製のセッティングを施し、タイヤ温度をできるかぎり低く保つために、ホイールアライメントはすべて0に設定していたという。
「とにかくストレートの距離が長いので、1mmか2mmでもタイヤに角度がついていると、温度はどんどん高くなってしまいます。だからすべてを0に調整して走っていました」と藤本は説明する。
「シャシー、タイヤ、サスペンション、すべての耐久性の限界を知ること、それに尽きます。今回、オジエが勝ったのはそれが要因と言えるでしょう。そして、彼は絶対に諦めませんでした。これは、サファリ向けの考え方としてとてもいいと思います。走り続けることこそが」
また、勝田貴元が初めてWRCのポディウムに上がったことにも藤本は喜びを見せている。その藤本は、サファリで優勝したマシンのレストアを終えたばかりだという。
「貴元選手のパフォーマンスには、本当にワクワクしました」と声を弾ませる藤本。
「チームオーダーが彼に出ていたかどうかについては分かりませんが、それでも彼自身、とてもいい走りをしたと思います。チームのためにも、オジエのためにも」
「彼は聡明ですし、自分の仕事や何をしなくてはならないかを理解しています。だからこそ、いい結果を残すことができた。日本のラリーファンやトヨタのためにも、とてもいいことだったと思います」