【ポルシェジャパン】フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェが節目の誕生日を祝う – RALLYPLUS.NET ラリープラス
現地速報がすぐわかる! バックナンバーが読み放題。ラリプラLINE限定コンテンツ配信中

【ポルシェジャパン】フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェが節目の誕生日を祝う

 

ポルシェ911の伝説的デザイナーが生誕75年を迎える

フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェが節目の誕生日を祝う

ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト 社長:マティアス・ミューラー)の監査役会名誉会長であるProf.フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェは、2010年12月11日に75歳の誕生日を迎えます。F.A.ポルシェは、才能溢れるデザイナーとして904カレラGTSやポルシェ911といった伝説的な名車を生み出しました。そしてポルシェKGの経営から退いた後は、1972年に「ポルシェ デザイン」スタジオを設立し、プロダクトデザイナーとして世界的な名声と評価を獲得しました。

フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェは、1935年12月11日シュトゥットガルトにおいて、ドロテアとフェリー・ポルシェの間に長男として誕生しました。彼は子供のころから自動車に影響を受けて育ち、祖父のフェルディナンド・ポルシェの設計室と開発現場で多くの時間を過ごしました。1943年、家族が会社と共にオーストリアへ移ったことに伴い、彼は現地でツェル・アム・ゼーの学校に通いました。 1950年にシュトゥットガルトに戻ると、ヴァルドルフスクールで最終学年の試験「アビトゥーア」に合格し、ウルム造形大学に入学しました。1958年、F.A.ポルシェは、当時のポルシェKGのデザイン部門に加わりました。

彼のデザインにおける才能は、タイプ754「T7」の発表によってすぐに明らかとなりました。彼はこの作品により、356シリーズの後を継ぐべきデザインの方向性を世界に示したのです。1962年、彼はポルシェのデザインスタジオの責任者となり、その1年後にはポルシェ901(後に911と改名)を発表して世界中の話題を独占しました。ロードカーと並んで、F.A.ポルシェは1960年代のレーシングカーのデザインにも深く関わりました。彼のデザインの中でもっとも有名なものが、F1レーシングカーのタイプ804であり、さらには自動車ファンの間で史上もっとも美しいレーシングカーの内の1 台とみなされてきたポルシェ904カレラGTSです。

1971年から1972年にかけてポルシェKGが株式会社に移行したことに伴い、F.A.ポルシェを含めたポルシェ一族は会社の経営から離れました。彼は株主および監査役会メンバーの立場から長年にわたってPorsche AGの発展を見守り、1990年から1993年の間は監査役会会長を務めました。2005年、彼はポルシェAG監査役の職務を息子のオリバーに譲り、自身は名誉会長に就任しました。

フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェは1972年に「ポルシェ デザインスタジオ」をシュトゥットガルトに設立し、1974年には本社をオーストリアのツェル・アム・ゼーに移しました。彼はそれから数十年にわたり、腕時計、アイウェア、筆記用具などの多彩な高級メンズ用アクセサリーのデザインを手がけ、「ポルシェ デザイン」のブランド名の下に世界的な名声を獲得、そしてこれと並行して、彼とそのチームは国際的に有名な顧客のために、「Design by F.A. Porsche」の商標を用いて多くの工業製品、家電製品、消費財を生み出しました。フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェはデザイナーとしての業績を評価され、数多くの名誉や賞を手にしてきたのです。

2003年秋、F.A.ポルシェと「ポルシェ デザイン」の株主は、ポルシェAGと共同でポルシェ・ライセンス/販売mbH & Co. KG(PLH)を設立しました。この会社の設立目的は、自動車関連以外のビジネスでポルシェの名前を有効活用することにあります。ここでは「ポルシェ デザイン」の商標としての価値が重視され、その結果ポルシェ デザインは、近年において独自の販売ネットワークを持つ世界有数の高級ブランドにまで成長しました。

RALLY CARS