WRCは5月18日、今季第4戦ラリーポルトガル(グラベル)の本拠地となるマトジニョスで、シリーズ50周年記念イベントの一環として記者会見とガラディナーを開催。エクポノールのメディアセンターで行われた会見には15人が出席したほか、レセプションとガラディナーには230人を超えるゲストが招かれた。
記者会見にはバルター・ロール、アリ・バタネン、ミキ・ビアジオン、ペター・ソルベルグと4人のWRCチャンピオンが出席。ガラディナーにはセバスチャン・ローブ、セバスチャン・オジエ、マーカス・グロンホルム、カルロス・サインツ、オィット・タナックと歴代WRCチャンピオン28人が勢ぞろいした。
記者会見にはそのほか、WRCチャンピオンコ・ドライバーでチームマネージャーでもあるデイビッド・リチャーズ、ベテランのチームマネージャー、ニンニ・ルッソ、ティツィアーノ・シビエロ、ロバート・レイド、ルイス・モヤ、クリスチャン・ゲイストドルファーらWRCチャンピオンのコ・ドライバー、WRCレディスカップを制したイゾルデ・ホルデリート、ルイーズ・アイトケン‐ウォーカー、そのコ・ドライバーを務めたティナ・トーナーも出席した。1982年にラリーポルトガルを制したミシェル・ムートンは、コ・ドライバーのファブリツィア・ポンスとともに登場した。
現在、FIAで副代表を務めるレイドは、2001年にリチャーズ率いるプロドライブが運営するスバルのワークスチームで、故リチャード・バーンズとともにスバル・インプレッサでWRCタイトルを獲得している。レイドは、その年のラリーGBの最終ステージを振り返った。
「最終ステージにスプリットタイムのボードを持ったデイビッド(リチャーズ)がいたのを覚えている。自分の記憶が間違っていなければ、ステージの真ん中で古いバンの残骸の上に座って、我々が仕事をやり遂げるために必要な情報を与えてくれていた。数え切れないほどの思い出がある。偉大なチャンピオンたちが、選手権の50周年を祝うためにここに集合したのは素晴らしいことだ」とレイド。
アリ・バタネンは1981年にデイビッド・サットンのフォード・エスコートRSで1981年のドライバーズタイトルを獲得しており、グループB時代にWRCの主役のひとりとして活躍した。しかし、1985年のアルゼンチンでコ・ドライバーのテリー・ハリーマンとともに大クラッシュし、大ケガを負っている。その偉大なフライングフィンも思い出を振り返った。
「自分の人生は、浮き沈みだらけだ。選手権を制したのは、 ある意味サプライズだった。RACの超ロングステージの最後になって、ようやく自分たちが勝ったと分かった。その時の気持ちは安堵しかなかった。そのような瞬間がたくさんある。しかし、そのうちのひとつは、WRCではない。あの致命的な事故の後、最初に出たパリ・ダカール・ラリーだ。あのスタートで、自分をつねりながら言ったよ。“第2の人生を歩み始めようとしているのは、本当に自分なのか?”ってね」
WRC4勝をマークしているミシェル・ムートンは、1982年はバルター・ロールに続く選手権2位に入った。現在は、FIAのウーマン・イン・モータースポーツコミッションのトップを務めている。そのムートンは、1982年にポルトガルで勝った時のことを振り返った。
「ポルトガルは、自分がサンレモで初めて優勝した後に迎えたイベントだった。自分は、一度勝ったら、もっと勝ちたくなるだろうといつも言っていた。ポルトガルで勝てるとは思っていなかったが、終わってみれば勝利を手にしていた。フィニッシュした時、道にいたすべての女性が私たちに手を振ってくれていた。それは大切な思い出。本当に特別な気持ちだった。何かをする時には、自分が女性だからやるのではなく、自分がドライバーだと信じるからやる。でも、このポルトガルでの勝利は、本当に特別だった」
ロールは1980年と1982年にWRCチャンピオンになっているが、最も優先していたことは、モンテカルロラリーで勝つことだったと明かした。ドイツ出身のロールは「人生での一番の目標は、モンテカルロでのウイナーになることだった。自分にとって、これが一番重要なことだったし、残りは楽しむためのようなものだった。それほど真剣になったことはない。2回も世界チャンピオンになったのはどんな気分かとよく聞かれるが、モンテカルロで勝つことの方が意味は大きいと話すんだ。1982年、ミシェルと争ったのはおかしな状況だった。振り返ると、アンラッキーな状況だったという気がする。ミシェルが世界チャンピオンになった方が格段に良かったかもしれない。WRCに女性のチャンピオンが誕生したという歴史ができれば、素晴らしいことだっただろうからね。この先、それが実現するとは思えないよ!」