【追悼】クレイグ・ブリーン 「すべての痛み、苦悩の中で彼は進み続けた」 – RALLYPLUS.NET ラリープラス
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【追悼】クレイグ・ブリーン 「すべての痛み、苦悩の中で彼は進み続けた」

©Hyundai Motorsport GmbH

4月13日にWRCクロアチアラリー向けのテスト中に起きたアクシデントでこの世を去った、クレイグ・ブリーン。33歳、WRC初優勝も待たれる中での早すぎる死だった。英国人ジャーナリストとして、ヨーロッパラリー選手権のメディアオフィサーとして、ブリーンのキャリア早期からその成長を見つめてきたリチャード・ロジャースが、アイルランドラリー界の期待を一身に背負ってきたブリーンとの思い出を寄せてくれた。


クレイグ・ブリーン 1990-2023

Craig Breen

2012年6月16日土曜日の朝は、私の人生の中でもこれ以上ないほど悲惨な日だった。シチリア島のパレルモ東部、テルミニ・イメレーゼのサービスパークにいた私に送られてきたテキストメッセージは、クレイグ・ブリーンがクラッシュしたと綴られていた。そして──当時も今もSNSの弊害と言えるのだが──彼のコ・ドライバーであるギャレス・ロバーツがこのアクシデントで命を落としたことが、気の毒にも彼のご家族が知っているかどうかも確認されないまま、広く拡散されてしまったのだ。

Craig Breen

クレイグは当然、事故の影響を大きく受けていた。しかし、すべての痛み、すべての苦悩の中で、彼は進み続け、プッシュを続け、自らを信じ続けた。初めて会ったのは2009年のジム・クラークラリーでインタビューをした時だったが、その後もヨーロッパラリー選手権のメディアオフィサーとしてクレイグとのつき合いは続いた。

この原稿は、私たちの友情を主張したいのではなく、彼が素晴らしい家族を持つ素晴らしい人間であったことを、文字に残すためだ。もちろん、言うまでもないことではあるのだけれど。

Craig Breen

2020年のERCで、クレイグは「こんなところでとどまっているわけにはいかない」と大きなフラストレーションを味わっていた。彼の野心と才能はWRCの舞台で発揮されるべきものだった。だが悲しいかな、時間は誰のことも待ってはくれないのだ。

クレイグのご遺族、ご友人には心からお悔やみを申し上げます。私自身も、先日受け取ったWhatsApp(2023年の今はこれがツール)の通知音とともに受け取った声明文が現実なのだと理解することに、まだ苦しんでいる。

自分は幸いにも、思い出せば笑顔になってしまう彼との思い出をたくさん作ることができた。
2013年、アゾレス諸島でクレイグと朝食をとっている時に、ロバート・クビカがアイルランド人のコ・ドライバーたちを隣に乗せて走るオンボード動画を見せてくれたこと。ポンタ・デルガダのレストラン「Mutley’s」の、石焼きステーキがお気に入りだったこと。2月のWRCラリースウェーデンで復活を遂げたこと。そして亡くなる前の日曜日、クロアチアラリーに向けての彼の意気込みを、猛烈な勢いでパソコンに打ち込んだこと(気合いが入っている時の彼は、特に早口になる)。

この思い出と愛すべきあなたを尊敬する思いを、いつまでも大切にしていきたいと願っている。
(Richard Rodgers)

Hyundai Motorsport GmbH



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