RALLY CARS vol.12 プジョー306マキシ
WRC参戦は数えるほど。勝利数はゼロ。しかし大きなインパクトを残したプジョー306マキシは、今も多くのファンに愛されています。このマシンに携わった人物たちに話を聞き、その知られざるストーリーを振り返ります。
WRC参戦は数えるほど。勝利数はゼロ。しかし大きなインパクトを残したプジョー306マキシは、今も多くのファンに愛されています。このマシンに携わった人物たちに話を聞き、その知られざるストーリーを振り返ります。
1986年、グループB規定の最盛期に登場したフォードRS200は、革新的なドライブトレインと理想的な重量配分を武器に、史上最速のラリーカーとなる“はず”でした。時代に翻弄され、歴史の狭間に消えたフォードRS200の真実の姿をお届けします。
グループB最後期にして最盛期の1986年、グループAクラスでデビューしたマツダ323 4WDは、のちに突如脚光を浴びることとなりました。4WD+ターボというパッケージは時代にぴたり合致し、グループA黎明期の日本車代表としてランチアなどのライバルとわたり合いました。
それまでの“ラリーカーの在り方”を一夜にして塗り替えたアウディ・クワトロ。先入観や常識にとらわれることなく、新たなる時代の扉を開き、4WD、ターボ、アンチラグシステム、ツインクラッチ…… アウディは次々と先進の技術を投入しながらも、最後までフロントエンジンで戦うことをやめませんでした。アウディの誇り、その志したものに迫ります。
グループ2/4規定によって争われた1970年代終盤から80年代初頭にかけて、日産は同一ドライバー・同一マシンでのサファリラリー4連覇という偉業を達成した。その原動力となったラリーカーこそ、「PA10」という呼び名で親しまれた4ドアセダンのバイオレットでした。
時は80年代序盤。時代はグループBへと移り変わり4WDの時代が幕を開けようとしていたその時、“ラリー”を名に戴く1台のマシンがデビューしました。4WDターボマシンを向こうに回し、タイトルを手中にしたランチア・ラリー“037”の真実に迫ります。
レガシィRSが誕生したのは、今から25年前のこと。技術者たちの信念が作り上げた一台のセダンはやがて世界を相手に戦うようになりました。ワークスとして参戦したのは実質3年あまり、その間に挙げた勝利はたったのひとつ。“遺産”という名を与えられ、未来を切り拓く原点となったクルマの姿に迫ります。
今を遡ること50年、産声をあげたポルシェ911はサーキットやロードレース、そしてラリーで様々な栄冠を勝ち獲りその名声を高めていきました。ワークスとしてのラリー参戦こそ少ないものの、多くのプライベーターたちに愛され、サーキットに負けず劣らず多くの911がラリーに参戦しました。
1990年代、グループA華やかなりし頃に誕生した三菱ランサーエボリューション。ラリーカーに先駆けて92年に発売されたベース車は、当時驚きを持って迎えられた攻めの外観と高い動力性能が話題となり、瞬く間に限定2500台を売り切り、増産するほどの人気車に。世界を身近に感じさせたランサーエボリューション。三菱黄金期の端緒となり、その後に続く栄光の礎となった第一世代に焦点をあてていきます。
グループB真っただ中の1984年。アウディとランチアが覇権を競うなかに登場するや圧倒的な動力性能を見せつけて、真・グループB時代の幕開けを告げたプジョー205T16。まったく新しいグループBマシンの在り方と可能性を示したミッドシップエンジンと4WDシステムの組み合わせは、新たなる勝利の方程式として時代のスタンダードとなり、多くの名車が後に連なることとなりました。
時代は、4輪駆動の優位性が明らかになり始めた80年代初頭。新たに導入されることが決まったグループB規定によって、ラリーカーは飛躍的な進化を遂げようとしていました。メーカー手持ちの量産車で戦うラリーから、勝つために作られたクルマで戦うラリーへと大きく時代が切り返すタイミングで、1台のコンベンショナルなラリーカーが誕生しました。
常識を覆すような楔形のスタイリング。鮮やかなスポンサーカラーを身にまとい、走ればすべてのクルマを置き去りにするほどの強さを見せたストラトス。勝つために生まれたこのマシンによって、ラリー界は大きくその舵を切ることとなります。